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夢子

Author:夢子
夢日記へようこそ(^0^)
いつまで経っても成長出来ない精神年齢20歳?脳内年令80歳?の天ボケ!
な~んも取柄のない二児の母親です。
平凡な日々をおもしろ可笑しく生きたいと試行錯誤し始めた今日この頃。。。
夢ちゃんの部屋で楽しく会話しましょうね♪


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今日の気温  m(__)m    晴れのち曇り

今年の歌舞伎後援会は30周年ということで盛大に行われた
で、私が記録に残したいのは郷土歌舞伎公演 30周年記念 郷土演劇
『山は呼んでいる』
  江戸時代には林野の所有権・利用権・境界等をめぐる争いが多くあり、こうした争いを「山論」といいました。
江戸時代の農民にとって林野は生活資材・肥料等の供給源や用水源として欠くことが出来ませんでしたが、その形態には明確な規定はなく、一般的に入会の形が多くありました。それが今でいうならバブルの崩壊とでもいいましょうか・・・幕府の自分固めがはじまり農民に大きな負担がなされるようになり林野も藩有林の設定やら新田開発が行われるようになった事から各地で争いが起こるようになりました。
それがわが郷土でも江戸時代享保年間に草刈入会権を巡って争いが起き、悲しい結末となった出来事がありました。
この題材を後世に語り継ぐべき、私の兄が『美濃の山論』として書き下ろし きっといつか演劇として演ずるんだと脚本にまで仕上げておりました。しかし演ずる夢も叶わぬまま兄は今年三月 他界しました。
今回30周年にあたり この話を聞いていた歌舞伎保存会の方のご尽力により兄の夢は叶えられました。(演劇大好きな兄♪演じたかっただろうな^^)
享保9年(1724年)6月 4年に渡る争いは自分達の林野が入会出来なくなったのは不当だと組頭は苗木藩へ直訴するも聞き入れられず入牢・・・それを聞いた百姓ふたりが江戸へ直訴するからと・・・首謀者は俺達ふたりだからと組に声をかけ17人が集結 江戸へ向うもその頃の直訴は重罪  二人は打ち首 他15名は追放となる悲しい結末・・・
事件鎮静後、後任の庄屋は、それぞれ山を用捨山(自由に出入りを許す山)として与えた。

二人が処刑場となった○○処刑場は、最低限の生活権の確保のために、時の政治に果敢にそして執拗(しつよう)に立ち向かった農民の歴史の跡であり、江戸中期の農民の生活を想起する上でも大切な歴史遺産である。

なんだかいっぱい書いたけど・・・^^; 
これが実家の近くの話でなければ・・・兄が書いたものでなければたぶん振り向かなかったと思う・・・

これを機会に わが故郷を知る! 
少し面白くなり始めた今日の一日だった♪

この後の食事会の話は・・・また明日♪
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コメント

* ひろろん
こちらこそ 気を使わせててごめんよ~(__*
秘密だらけの夢子さんは、それでもついついボロ出てるけどねぇ~(^^; 

あっちゃぁ~~~
ごめんねぇ~夢ちゃん(^人^;
アッチの時は地元とリンクしてあったから・・・
つい、うっかりです!!!

オンナは秘密が多い方が素敵だモンね(爆)

* 梵ちゃま
夢にかける情熱って凄い力を発揮出来るもんなんだよね!兄の闘病生活はまさに夢が余命三ヶ月の命を7ヶ月に延ばしてくれました。。。一時期は治ったんじゃ?と思わせるくらい・・・梵ちゃまも出せるだけのエネルギーを出しちゃったんだね(>_<)でも 夢がまだまだ続くのなら体力つけなきゃねp(^0^)q 日々の暮らしの延長上に夢があるって・・・いいなぁ~♪積み重ねが夢に繋がるって最高だろうね♪

郷土の事でも、郷土史とか、機会がないとなかなか調べたりする事はないものですよね。
私も去年、郷土の民話を元に合唱組曲を作曲指揮、ホールに満員のお客様の前で演奏するという、長年の夢が叶い、リアル友、ネット友、いろんな人に来ていただきました。
なので、夢子さんのお兄様の公演にかけたかった気持ち、とてもよくわかるつもりです。
きっとお兄様も喜んでいらっしゃる事でしょうね。
多分、当日は会場で見ていたのでは?と思います。

郷土史は、私も、実際自分が関わるまでは、全く興味がありませんでした。
民話と言っても、実在の人物の話がかなり出てくるので、調べて面白かったですけどね。
で・・・現在の体調不良は、その頃からの無理が祟っている事は、疑う余地もありません^^;
でも、夢に向けて全力をかけたという事に後悔はしてないですけど・・・あ・・・でも、夢はこれで終わりじゃないです。

* いずみくん
ありがとう(^0^) 苗木藩もいろんなドラマ抱えてますね(^^; ここは平家の落武者の流れて来たところだとか聞いた事もあるんで 一度ゆっくり歴史調べてみようかなって真剣に考えてます♪
* ひろろん
ひろろんの近くもいろいろドラマがありそう♪
あっ ひろろん ごめん・・・地名入ってたからその部分だけ削除させてもらったわm(__)m 
昨日兄のお墓に報告とともに○○処刑場跡地へお参りに行ってきたわ。。。綺麗に整備されてた♪ 私が小学生の頃は暗くって側を通るのが怖かった記憶が(>_<)

先日の新聞にこの記事がカラー写真でで載っていたわ!
あ!○○だわ!!!ってしっかり読んだよ!!!
夢ちゃんの事知らなかったら~
σ(^^)もきっと「ふぅ~~~ん」とも思わなかったと思うよ♪
郷土の歴史って・・・歴史の長さの分だけ重さがあるよね!
夢ちゃんのお兄さんもきっと喜んでるよね^

郷土史って・・大事ですよね

うちが住んでる宅地、大昔は横穴式墓地のあった山を崩して作った造成地で
昔は骸骨山って呼んでたそうですよ


苗木藩
遠山家 外様大名 1万石 柳間詰

遠山家は戦国期、この美濃苗木に割拠する勢力であった。
美濃斉藤氏の勢力伸張に伴い、斎藤家の傘下に入る。
織田家支配を経て、秀吉の時代に、遠山友政は、美濃兼山城主であった森長可に付属するよう命じられ、苗木城を出るよう命じられるが、これに承諾せず、郎党を引き連れ、苗木城を退去してしまう。

秀吉は川尻直次を苗木に入れる。
遠山友政は家康のバックアップはあったのものの、失領した浪人状態で関ヶ原を迎え、川尻直次が出陣中の留守城の苗木城をわずかな手勢で奪い、そのまま功として苗木城を賜る。

その後、1万石の少禄とはいえ、江戸時代を通じて、中世以来の古城に拠り、封を守る。

石高1万石で城主大名というのも、この苗木藩の遠山家だけ。


と言った感じですかね
ヽ( ´ー`)ノ

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